Part 5 の はじめに
2011/12/04
「マイクの友だちと家族」「タケシの留学」それぞれの Part 5 「はじめに」のセクションに掲載予定のものと同じものを以下に掲載させていただきます。
「日本人特有の完璧主義が英語を喋るのを妨げている」と言われることがあります。完璧主義に捕われるあまり、間違いを恐れて英語が話せないというのです。果たして、そうでしょうか? 英語を話すための準備ができていない、すなわち、準備が不足しているから言葉が出てこないだけなのではないでしょうか?
外国語を話そうとするとき、言葉がなかなか出てこないのは、皆同じです。自分が言いたいことを表現するのに、この言葉を使っていいものかどうか迷ったり、間違えているのではないかと不安に駆られたりするのは、外国語学習者なら世界中、誰もが経験することで、日本人特有のものではありません。その不安が少しでも和らぐように、言葉を覚え、覚えた言葉を使って予行練習をする場が外国語の授業なのです。ところが、学校での授業が本来の役目を果たしていないので、予行練習が十分にできず、その結果、ものすごく大きい不安を抱えたまま本番に突入し、頭の中が真っ白な状態で話さなければならないところに追い込まれるのです。
学校教育以外の学習環境においても、日本は英語を話す機会がとても少ない国です。外国語に接する機会がほとんどない国だと言っても過言ではないでしょう。たとえば、他国に征服され母国語を話すことを禁じられた歴史を持つ国には、複数の公用語があります。それは歴史的には不幸なことだったのでしょうが、外国語を話すということだけに焦点を当てると利点をもたらしたと言えます。なぜなら、複数の公用語があれば、母国語以外の言語に触れる機会が多くなりますし、公用語の中に英語があれば、当然のことながら多くの人が英語を話せるようになるからです。また、多民族国家や海外資本を多く取り入れる国では、外国語に触れる機会が断然多くなります。複数の公用語を持つ多民族国家では、人々が母国語以外の言語に日常的に触れながら生活していますし、海外資本を多く受け入れる国では、多くの人が外国語を使って仕事をしています。そういうわけで多くの国では、外国語を学ばなければならない環境にあったり、何らかの形で母国語以外の言語に触れる機会があったりします。ところが、日本に住む限り、そうした環境もなければ外国語に触れる機会もありません。ある意味、日本はラッキーな国なのかもしれませんが、その運の良さが、外国語の学習環境としては災いになっているのだろうと思います。
そうした学習環境の悪さを補うのが学校の英語教育であるべきだと思いますが、日本の英語教育は、批判されながらも、その学習環境が改善されたとは言い難い状況がずっと続いています。中学・高等学校の教科書には、日常生活に必要だと思われる口語表現が多く欠けていますし、実際のこの状況でこんな表現を使うだろうかと首をかしげたくなるような失礼な表現や不自然な表現が多々見受けられます。さらに、教科書を読み上げる英語音声は、ゆっくりすぎて不自然です。こんな不自然な英語の音声に慣れてしまったら、ナチュラルスピードの英語を聞き取るのが、かえって難しくなるだろうと思わざるをえません。中学・高校の先生方は、そういう教科書を使って、しかもマニュアル通りに教えるわけですから、その教育の成果は推して知るべしということになります。この悪状況を私は「英語学習の回り道」と呼んでいます。小学校に外国語教育が取り入れられた現在では、実を結ぶ可能性の低い語学教育が小学生にまで及んでしまい、「回り道」はますます長く複雑になってしまったのです。
結局のところ、中学の英語教育は高校入試に、高校の英語教育は大学入試に標準が合わせてあり、日本式英語テストにすぎないそれらの入試は、語学力を計っているとは言えません。また、本来ならば近い将来、仕事で英語を使う見込みのある大学生こそ英語を話す練習が必要なのですが、日本の大学生の多くは学びに対するモチベーションが低く、語学学習などという地味なことを好みません。その上、英語を使って仕事ができるレベルの英語教育プログラムを準備している大学が、どの程度あるかを考えると日本の英語教育にはますます期待が持てなくなってしまいます。海外に進出する企業が英語を話せる人材確保に苦労している現状から見ると、英語教育の充実した大学の数は、きわめて少ない状況だろうと思われるからです。
日本の学校教育を受けるだけでは、英語を話せるようになれないのは当然の結果です。これは「日本特有の不完全きわまりない英語教育が、英語を喋るのを妨げている」と言ってもよい状況ではないでしょうか。こうした現状は改善されなければなりません。比較的短い時間でできる改善といえば、まず、中学、高校の教科書を音声教材も含めて大幅に改善、改訂することです。それから、将来の必要に応じて学生を育てあげるような英語教育プログラムを大学に設けることだと思います。実践力を一番効率的に養えるのは、年少者への教育ではなく、社会に出る直前の学生に対する教育です。仕事に通用するような話し方が、母国語ではいつ頃身につくのかを考えれば、そのことが理解できると思います。人によっては、アルバイト先でのマニュアルを覚える頃かもしれませんが、最終的には就職活動を目前にして面接の練習をする頃なのではないでしょうか。自分の将来の必要性を自覚するからこそ、比較的短時間で社会人としての話し方が身につくのです。
日本の英語教育が非効率である一番の原因は、真に必要としているわけではない多くの人に英語学習を押しつけているところにあります。本当は必要ないのに、英語が話せないとこれからの時代を生きていけないかのような情報が、まるでプロパガンダのように大量に流されています。そうすると、多くの人がそうかもしれないと思い始め、英語を勉強しなければと焦り始めます。しかし、勉強してみたところで、実際に使う機会がなければ、英語はなかなか身につきません。プロパガンダの真の目的は英語教材の販売であったり、英会話学校の生徒集めであったりするのではないかと私は見ています。小学校への外国語教育の導入にも、それに似たような商業的目的が隠されているのではないでしょうか。語学教育改革と称して小学校に不完全な外国語教育を導入したところで、小学生には一利無し、納税者にとっては税金の無駄使いです。将来的に英語が必要になる人を見いだし、それらの人々を着実に育て上げる教育こそが望まれるべきではないでしょうか。
すでに「回り道」しているけれど、これから仕事のために英語を話さなければならなず、学習中という人もいるはずです。英語を話そうとしても、なかなか言葉が出てこない状況を何とか抜け出したいと願っている人もいるでしょう。そういう人にもっとも効果的なのは、就職面接に備えるための練習と同じような、話す訓練です。まず、話すのに必要な言葉を、ナチュラルスピードの音声を聞きながら真似て、声に出して言いながら覚えましょう。言葉につまったときの音 “Uh, ...” とか、考える間をとるときの “Let me see ... ” などの表現も使う練習をしておくと役に立ちます。また、自分が会話している状況を思い浮かべながら話すというイメージトレーニングはとても効果的です。もしも英語で話してくれる相手がいるなら、実践トレーニングを積んでおきましょう。「備え」は自信につながるので、万全を期すように心がけましょう。ただ、どんなに練習しても実際の面接試験で緊張するのと同じように、改まって話すときには誰もが緊張します。ましてや母国語ではなく、外国語を話さなければならない場面では、その経験が浅ければ浅いほど、緊張するものなのです。緊張しながらも、ときには間違いながらも実践を積み重ね、話す経験を積んでいくことこそが外国語の上達する道です。実践の場があるからこそ、そこに向けての予行練習、すなわち英語学習が必要になり、かつ重要性を帯びてくるのです。
2011年11月 著者